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2012年10月27日

テスト投稿。コピペ

	

奥の細道

               芭蕉


 月日つきひは百代の過客(くわかく)にして、行きかふ年(とし)もまた旅人なり。舟の上に生涯(しやうがい)をうかべ馬の口とらへて老(おい)を迎 ふる者は、日々旅(たび)にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風(かぜ)にさそはれて漂泊 (へうはく)の思(おもひ)やまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上の破屋に蜘蛛(くも)の古巣(ふるす)を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞(かす み)の空(そら)に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神(だうそじん)のまねきにあひて取る物手につかず、股引(もゝひき)の 破(やぶ)れをつづり笠の緒(を)つけかへて、三里に灸(きう)すうるより、松島の月まづ心にかゝりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅(べつしよ)に移 るに、
  草(くさ)の戸(と)も住(す)みかはる代(よ)ぞ雛(ひな)の家(いへ)
表(おもて)八句を庵の柱にかけおく。弥生(やよひ)も末の七日、あけぼのの空朧々(ろう/\)として、月は有明(ありあけ)にて光をさまれるものから、 不二(ふじ)の峯幽(かすか)にみえて、上野(うへの)谷中(やなか)の花の梢(こずゑ)又いつかはと心細し。睦まじきかぎりは宵よりつどひて、舟にのり て送る。千住(せんぢゆ)といふ所にて舟をあがれば、前途(ぜんと)三千里のおもひ胸にふさがりて、幻(まぼろし)の巷(ちまた)に離別(りべつ)の涙 (なみだ)をそゝぐ。
  行(ゆ)く春(はる)や鳥(とり)啼(な)き魚(うを)の目(め)は泪(なみだ)
これを矢立(やたて)の初(はじ)めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと見送るなるべし。
 今年(ことし)元禄二とせにや、奥羽(あうう)長途の行脚(あんぎや)たゞかりそめに思ひ立ちて、呉天(ごてん)に白髪(はくはつ)の恨(うらみ)を重 ぬといへども、耳に触れていまだ目に見ぬ境、もし生きてかへらばと定(さだ)めなき頼みの末(すゑ)をかけ、其の日漸く早加(さうか)といふ宿にたどり着 きにけり。痩骨(そうこつ)の肩にかゝれる物まづ苦しむ。たゞ身すがらにと出(い)で立(た)ち侍るを、紙子(かみこ)一衣(いちえ)は夜(よる)の防 ぎ、ゆかた雨具(あまぐ)墨筆(すみふで)のたぐひ、あるはさりがたき餞(はなむけ)などしたるは、さすがに打捨(うちす)て難くて、路次のわづらひとな れるこそわりなけれ。
 室(むろ)の八島(やしま)に詣(けい)す。同行曾良が曰く、此の神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の神と申して、富士一体なり。無戸室(うつむ ろ)に入りて焼け給ふ誓(ちかひ)のみ中に火々出見(ほゝでみ)の尊(みこと)生れ給ひしより、室の八島と申す。又煙をよみ習はし侍るもこの謂(いは)れ なり。将(はた)このしろといふ魚を禁ず。縁記(えんぎ)の旨(むね)世につたふ事も侍りし。
 三十日、日光山の麓(ふもと)に泊る。主(あるじ)の云ひけるやう、我名を仏(ほとけ)五左衛門といふ。よろづ正直を旨とする故に人かくは申し侍る まゝ、一夜の草の枕もうちとけて休み給へといふ。いかなる仏の濁世塵土(ぢよくせぢんど)に示現(じげん)して、かゝる桑門(さうもん)の乞食順礼(こつ じきじゆんれい)ごときの人をたすけ給ふにやと、主のなすことに心をとゞめて見るに、たゞ無智無分別にして正直偏固(へんこ)のものなり。剛毅木訥(がう きぼくとつ)の仁に近きたぐひ、気稟(きひん)の清質尤も尊ぶべし。

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